子どもの話

今日、偶然「ハートネットTV 密かに産まれる命~女子刑務所 出産・育児は…~」を見た。特別見たいと思って待っていたわけでもなんでもない番組だけれど、他に見るものが無くて。

ぼんやりと見ているうちに一瞬「刑務所に入るようなことをしたからこうなるんだよなぁ」と思って、そう思った自分に少し嫌悪感を感じた。

 

子どもには罪はないのだよ、子どもには。

 

親も苦しんでいる、育児をしたいとおもっていた、という視点で描かれがちな問題だけれどこれって子どもは何も辛くないのか?

一つのケースを拾って読んでいると、「子どもが懐いてくれなくて苦しくて覚せい剤に手を出した」と言っているけれど、子どもは「よく知らない大人が自分をよく知っている体で寄ってくる恐怖」は計り知れなかったと思う。

寄ってくるどころか、いきなりある日一緒に住み始めただけでも子どもは恐ろしかっただろうに。

私だって、ある日親戚のおばさんがウチに来て主人と仲良く喋りながら「あをさんも一緒にお茶しましょ~シブースト好きだったでしょ?」とか言われたら怖い。子どもならなおさらじゃないか?

まずは家にいるのが当たり前の「人」になることが最優先だったのに、「親」になることを最優先したらそりゃうまくいかないなぁと思った。

 

里親制度に協賛して乳児院に入れなかった子どもを預かっている親の子どもが知り合いにいる。

親→私はその子の親

子→知らないおばさん

預かり→怖がってる…!

ケースワーカー?→大丈夫ですよ~

という三つ巴となっていて毎回子どもは泣くし親は預かっている人に騙されているというようなことを言うし、ケースワーカーは状況を収める方向を考えない。聞いていてまさに地獄かと思った。

 

離れて2~3歳まで育ってしまったら子にとっての「親」にはなれないのかもしれない。「友達」になるしかない。けれど親は「親」になりたい。すごく複雑で葛藤を呼ぶ話。

 

刑務所の話だけじゃなく、2~3歳までの間に愛着形成が出来るほど一緒にいられないならアプローチが違う方向になるべきなのかな。

でも、そんな簡単に切り替えられないね。人間だから、間違うこともあるわけだし。